ぴぴぴぴ……
気だるい眠気を追い払う電子音。
寝ぼけ眼をこすりながら、枕元に置かれた目覚まし時計のスイッチを切る。
うーっ
半身を起こし、大きく伸びをする。
春の陽射しがようやく布団の誘惑に負けないくらい強くなったのがわかる。
薄地のカーテン越しから見える日の光は、かつて住んでいた街の日々を思い出させる……ような気がする。
このまま、しばらくぼーっとしているのも気持ちいいかもしれない。
が、そんな悠長なことを言っていたら仕事に遅れるし、朝飯にもありつけない。何せうちの女房と来たら、寝起きは昔から非常に悪いのだから。
いつものようにとなりで寝こける女房を揺すり起こす。
「おい、そろそろ起きろ」
「……くー」
もちろん、このくらいじゃコイツは起きない。
学生の頃は両手で抱えきれないほどの数の目覚ましを子守り歌にしていたぐらいだから。
「おーきーろーーーっ!!!」
耳元で大声で叫ぶ。
いくらなんでも……と言われそうな所だが、口元をムニュムニュさせただけで、それ以上の反応はない。
更に大きくゆする。ゆさゆさゆさ……
「……地震だ……おー」
おー、じゃ無い。
本物の地震が来ても起きないよな、コイツなら。
「うーむ……この手は俺にも被害が及ぶから、使いたくはなかったのだが……」
あの手この手を使ってこの難攻不落の要塞を攻略するのも面白いかもしれないが、そんな事をしていたのでは朝飯抜きになる。そう判断した俺は最終手段を使うことにした。
布団に手をかけ、一気に剥ぎ取る。
直後、部屋中の窓を開けて回る。途端に冷たい風が部屋の中を見たした。
「……」
「……くしゅん!」
「起きたか?」
「……うー、寒いよ……」
だから最終手段なのだ。
ようやく目を覚ましたらしい女房に、言葉に出さずに答える。
だいいち、俺だって寒い。まだ着替えてないんだ。
「祐一、極悪だよ」
「うるさい、さっさと起きろ……ってまた布団かぶるな!」
「大丈夫、まだ時間はあるよ」
「バカタレ。今日は春日(はるひ)の入学式だろ! 準備、一番手がかかるのは誰だ?」
「うー」
娘の名前を出されてようやく思い出したのか、ふてくされた表情でベッドから降りる。
こういう所は昔から全然変わらない。
「ほら、さっさと着替えて飯だ、飯」
夢の世界から抜けきれていない女房を急かす。
俺の方はというと……男の着替えだ、3秒で終わる。
もっとも、春日を送り出した後に正装に着替えることになるんだろう。
「まだ眠いよ……」
ふわふわ揺れながら着替えを始めた。
朝飯は、間に合うか微妙だな……やれやれ。
なんとはなしにその着替えを待っていた俺だが、ふと、サイドテーブルに置かれた一冊の分厚い本に気づいた。
あれは……、アルバム……か?
……
……!!
「おい!」
「うにゅ?」
ようやく着替えの終わった女房がこちらを振り向く。
肩を怒らせた俺を見て、不思議そうに首をかしげた。
「わ。祐一、どうしたの?」
「どうした、じゃない! おまえ、春日にアルバム見せてただろ?」
「うん。見せてたよ」
にっこり笑う。
昨日の情景がよみがえる。
俺が仕事から帰ってきたら、リビングで二人してアルバムを見ながら笑い転げていやがったんだ。
傍らに積まれた山のようなミカンの皮を見れば、どのくらい長い時間それを見ていたのかは一目瞭然。俺は会社で仕事をしている時間より気力が目減りするのをハッキリ感じることができた……
「あのなぁ……こんなの見せたら、親の威厳が無くなるだろーが!」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもない!
男親ってのはな、厳格なイメージがあってなんぼなんだ。
娘に『お父さんたちって昔からラブラブだったんだね』とか言われてみろ。
それ以降、娘は男親をなめきり、洗濯機の中で自分と男親の下着が一緒に洗われてると悲鳴を上げ嫌がり、たまの日曜も粗大ゴミ扱いして家を追い出そうとするんだぞ! それでもいいのかっ!?」
いっきに言い募る俺に、コイツと来たら、
「春日なら大丈夫だよ」
と、のほほんとした返事をする。
わかってない、わかってないぞ。最近の若いもんと来たら……
「祐一、オヤジくさい……」
「今年で35だ。オヤジくさくててもしょうがないだろう!」
最近腹の肉がたるんでき始めたようで、少々気になる……ってそんな事はどうでもいい!
「それと、ちょうどいい機会だから、『祐一』って名前で呼ぶのも止めろ!
俺達にはもう中学に入る娘もいるんだ。新婚じゃあるまいし、いいかげん恥ずかしいぞ」
「大丈夫。わたし、恥ずかしくないよ」
「お前がそうでも、俺は恥ずかしいんだ!」
「うー、じゃあ、どう呼ぶの?」
当然の問いかけに、思わず詰まる。
「そ、そうだな……何がいいかな」
「じゃあ、『あなた』とか『旦那様』とか」
「やめい」
名前で呼ばれるのも恥ずかしいが、さりとて今さら「あなた」とか呼ばれるのもそれ以上に恥ずかしい。
が、ここは心に忍の一文字を刻んで……いや、いい方法があった。
「うん。決めた。『お父さん』だ。それなら実に自然だ。おう、そう決めた。決定、反論の余地なし」
「裕一は私のお父さんじゃないよ」
「ボケ倒すな! この場合は春日のお父さん、って意味だ!」
「何か他人行儀……」
「とにかく、今日から名前で呼ぶの禁止! 俺も名前で呼ばない! いいな!」
「うー」
むりやり言いくるめて、さっさと寝室をあとにする。
気づけば、大幅に時間を食っている……朝飯、ありつける……のか?
「お父さん、お母さん、おそーい!
早くしないと入学式遅れちゃうよ!!」
「おう、春日、おはよう」
「わ。春日、もう起きてたんだ」
キッチンに来てみれば、すでにといい具合に焼けたトーストとハムエッグ、紅茶が準備されている。
そして自分の分を小さな口一杯にパンを頬張りながら、娘の春日(はるひ)が大声を上げる。
どうやら、いつまでも起きてこない俺達に業を煮やして自分で準備をしてしまったらしい。
春日が料理を作る所など見たことはなかったのだが、ハムエッグもほどよく火が通っており、俺が自分で作るよりよほどうまくできていた。小さく見えても、水瀬家の血筋は侮れない。
さっそく、俺達もテーブルについて食事を取りはじめる。
味のほうも……まずまずだ。思わずうなり声をあげてしまう。
「春日、料理できたんだな」
「だって、毎日お母さんにお料理習ってるもん。朝飯前だよ」
今は朝飯中だ。
「……いま、お父さん、変な事考えてたでしょ?」
「そんな事ないぞ」
「むー」
「春日。今日は早かったけど、もしかして眠れなかった?」
「……やっぱり分かる?お母さん」
ちろりと舌を出して照れる娘。図星だったらしい。
見れば、緊張し、表情も心持ち色褪せているような気もする……しょうがない娘だ。
「春日ぃ、初日からそんなに気を張っていてどうする?」
「だってぇ……」
「だっても北京ダックもない。
中学校の入学式なんざ、目をつぶって10も数えておけば、すぐに終わるんだ。
興奮するのも分かるが、今からそんなんじゃ、先が思いやられるぞ」
父親らしく、威厳をもって説教してみる。春日は首をすくめて、申しわけなさそうに聞いている。
「でもね春日。『お父さん』は大学の入学式はホントに目をつぶって10数えて、そのまま寝ちゃってたよ。立ったまま」
「うそっ!?」
「ホント」
待てぃ。いきなり親の醜態バラしてどーする。
が、これで春日の緊張はほぐれたらしい。このあたりは母親の包容力には勝てない。
「小学校と違って、中学校は人が多くなるから戸惑うかもしれないけど、春日なら大丈夫。
お母さんね、春日と同じ歳に、すごく大事なお友達が出来たの。
春日は可愛いからすぐにたくさん友達が出来るよ。
……『お父さん』と違って」
「げほっ」
思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。
見れば、ジト目でこちらを睨んでいる。……まずいな、さっきの件で根にもってやがる。
春日も不審げな表情で、俺の表情をうかがっている。
俺はエヘンと咳払いして、この場の変な雰囲気を崩そうとした。
「……何かあったの? お父さん」
「う、い、いや、何もないぞ。何も」
「そうかなぁ……お母さん、お父さんの事『お父さん』とかいってるし……」
「……」
見る……イヤ、聞く所はしっかり聞いているらしい。
どう答えようと迷っていると、それを遮るようにして、女房が春日に話しかける。
「春日。がんばって新しいお友達をひとり作ってきなさい。
そうしたらお母さん、春日のために今日はご馳走作ってあげるから」
「ホントっ!?」
「うん」
にっこりと笑う。が、続けて……
「でも、『お父さん』は紅しょうが。茶碗いっぱいの紅しょうがに、紅しょうがを振りかけて、お吸い物は紅しょうがの絞り汁。それと紅しょうがの炒め物」
それだけ言うと、自分のパンにイチゴジャムを塗りたくって頬張る。こちらのほうを見もしない。
問答無用……って訳かい。
復讐は、昔懐かしい「紅しょうがのフルコース」と来た。
一度ならず二度までも陥落したこの戦法だが、こちらとしても先程の件を譲る訳にはいかない。昔は大したことじゃなかったが、今回はのちのちまでずっと響く、大事な父親の威厳を守るための戦いなんだっ!
ということで、こちらも黙ってママレードを塗ったパンを頬張る。
いきなりの成り行きに、春日がおろおろしながら俺達を交互に見ている。
「お、お父さん……」
「大丈夫だ。お父さんはコレぐらいでへこたれたりしない」
「そうじゃなくて……もう! お母さん、それじゃいくらなんでもあんまりだよぉ……」
娘の言葉に、ちろりと視線を動かし、アイツはしばらく考えこんだあと、ため息とともに答える。
「春日がそういうなら、紅しょうがだけじゃなくって、この前久しぶりにお母さんが実家から送ってきたジャ…」
「…好きに呼んでいいから、それだけは止めてくれ」
言葉を遮って、疲れた声で宣言する。
卑怯すぎる手だが、回避する方法は他にない。俺は泣く泣く約束を撤回する事を認めた。
それにしても義母さん……ジャム、まだ残ってたんですか……
「ジャ……って?」
「春日。世の中には知らなくていいことってのもあるんだ」
「う、うん……」
大きくため息をついて、パンをかじる……が、ジト目はまだこちらを向いていた。
沈黙。
女房と娘の視線が痛い。
ふぅ……。俺は、もう一度大きくため息をついた。
「分かった。分かったよ『名雪』。今までどおりだ。……コレでいいんだろ?」
「うん!」
満面の笑みを浮かべる。そうも簡単に機嫌を直されると、こちらとしても苦笑するしかない。
「……ふ〜ん……」
ぎくり。
今度は春日の眼がジト目を向けていた。
「何かと思ったら、呼び方ぐらいでケンカしてたんだ……」
「い、いや違うぞ春日。これはそんな簡単な問題じゃなくってだな」
いかん、このままでは父親の威厳が……
「おっと春日。そろそろ時間だ、急がないと学校に送れるぞ!」
「…うん……」
ジーっとこちらを見たまま、いすから立ち上がり、まだ軽いカバンを小脇に抱える。
「おし、頑張ってこい。お父さんたちは後から行くから」
「春日。気をつけてね」
「うん、行ってきます」
パタパタとキッチンを飛び出す春日。
が、一旦廊下に消えたと思ったら、引き返して来て、首だけをひょこっと出して、一言。
「……お父さん、よわっちい」
「うぐぅ」
去りぎわの娘の言葉。とどめの一撃は、非常に痛かった……。
ち、父親の威厳〜〜あうーっ。
「祐一、大好きだよっ」
名雪一人だけが平和だった……。
朝の仕事中に、ふいに思い付いたシーン。
義母さん……もとい、秋子さんは非常に謎な人です。娘が35才にもなっていると言うのに立ちグラフィックは、ゲーム本編のものがそのまま利用可能なんです(笑)
謎ジャムの賞味期限はいつなんでしょう(゜-゜)\baki
作中、裕一はひたすら父親の威厳にこだわってますが、もとよりそんなものはないってのは公然の秘密です(笑)
| 総合評価 | 投稿数: 224 pts. / 平均: 4.6(良い方だと思う。) |
|---|---|
| コメント |
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