始業前の教室は賑やかなものだ。
生徒達は、お互い昨日あった出来事についての話題に花を咲かせている。
テレビで放映されているドラマの展開、発売された雑誌のこと。稀にではあるが、今日の授業についてなど、さまざまな会話が繰り広げられていた。
「おっす! 杉崎!」
その喧騒溢れている教室に、低く通る声が響く。
その声の主は、鞄の中から取り出した教科書を机の上に並べている少女の席へと近づく。
「あ、おはよう。綾乃くん」
近づいてくる気配に、少女は肩にかかる髪をなびかせながら振り向くと、少年に眩しい笑顔を添える。
綾乃と呼ばれた少年は、その笑顔に胸の鼓動が高鳴った。
「す、すす杉崎。きょ、きょ、今日もいい天気だよなぁ〜!」
自分でも妙に上擦った声だとわかるぐらいに、少女に挨拶を返した。彼の顔をよく見ると、心なしか頬が赤くなっているように見える。
綾乃の容姿は、一言でいうと体育会系といっていい。がっしりとした体つきが、それを物語っている。
そんな彼が頬を赤くしてそわそわしている様は、何ともおかしく、また可愛くも見える。
そんな彼の様子に、少女は口元に手を当ててくすりと笑う。
「ふふっ、綾乃くんったら。綾乃くんは、いつも元気だね」
「そ、そうかっ? も、もちろん、俺はいつも元気だよ! あは、あははははははは!!」
綾乃は恥ずかしさを誤魔化すために、大きく声を上げて笑った。少女──杉崎由希子も、
彼につられて笑う。それが彼らの、いつもの朝の光景だった。
不意に由希子は、ある一点を見つめる。彼女の視線の先には机があった。
鞄が置かれていないことから、その席の主はまだ登校していないようだ。
「綾乃くん。芳彦は、まだ来てないの?」
由希子の急な言葉に綾乃は一瞬戸惑ったが、その意味を理解すると肩をすくめた。
「水沢か? ……あいつが、朝早く学校にくるわけないだろう?」
綾乃は、さも当り前のように言う。由希子も由希子のほうで、そのことに大きく頷く。
「それもそうね。綾乃くんの言う通り、あいつが早く来るわけないもんね」
「そうだな。あいつが、早くに学校に居たら雪でも降りかねんからな」
間髪入れずに、横から別の声が入ってきた。
「こ、香坂くんっ!?」
「香坂っ!!」
「おはよう、杉崎。そして、橘」
香坂宏は、手短に朝のあいさつを交わす。
由希子は突然現れた宏に目を点にし、綾乃はだらしなく口を大きく開け、ぽかんとしている。
「おいおい、二人とも。その態度は、挨拶をした人に失礼と思わないのか?」
宏に言われて、最初に我に帰ったのは由希子だった。
「ご、ごめんなさい。………え、えっと。おはよう、香坂くん」
由希子は先程見せた笑顔を添えながら、宏に向けた。だが、綾乃は彼の態度に眉を顰める。
「こぉ〜さかぁ〜。お前なぁ〜、もうちょっとマシな登場の仕方があるってもんだろう?
いきなり横から出てきやがって、まったく………」
綾乃が抗議の言葉を投げるが、香坂はしれっとした顔で受け流す。その表情から、気づかないお前が悪いと言われているようだった。
綾乃は一瞬顔をしかめたが、宏のそんな態度はいつものことだからと、深く追求はしない。
由希子は、これまた、いつもの光景にくすっと笑みをこぼす。
これであとは芳彦がくるだけね、と思いながら再び鞄の中から教科書を取り出し始めた。
すると、廊下に何か騒がしい音が響いてきた。
どうやら、その音の主は廊下を駆けているようだ。徐々に近づいてきている音は、そのまま教室の中へと飛び込んできた。
「噂をすれば…ってやつかしらね?」
「……だな」
由希子は綾乃のほうに視線を向けると、そう呟いた。綾乃も彼女に答え返す。
教室の中に飛び込んできた人物。先程まで話の渦中にいた芳彦本人であった。
彼は相当走ってきたらしく、息も絶え絶えだ。ふらふらになりながら、何とか自分の席に辿り着く。途端、彼は机に伏した。
由希子、綾乃、宏の三人は揃って芳彦の席へと足を向けた。
「ははっ、水沢ぁ〜。お前は、相変わらずだなぁ〜。
今日は何とか間に合ったって感じだな」
綾乃は伏している芳彦の背中をバンバン叩きながら、豪快に笑う。
「や、やめろーっ……
あ、綾乃! お、お前は、俺が疲れているのが見てわからないのか……っ」
芳彦は机からぱっと起きあがると、綾乃に対し抗議の声を上げる。
だが、まだ体力が戻ってないのか、どこかしら迫力にかける。
「何威張っているのよ、芳彦は。
だいたい、走らなければ間に合わない時間に学校に来るなんておかしいわよ」
「まったくだ。がはははっ」
由希子の言葉に、綾乃はさらに豪快に笑った。見ると、宏のほうも口元の端を緩めている。
彼ら三人の反応に、芳彦は憮然した表情をする。
「遅刻ぎりぎりか……相変わらず成長のない奴だな、水沢」
宏のこの取りつく島もない言葉に、芳彦の顔は苦虫を潰したようなものとなった。
「うるせぇっ! 余計なお世話だっ!!」
芳彦は、追い払うように片腕を振る。
「でも、ホントのことじゃない」
「ぐっ……」
だが、芳彦のささやかな抵抗は、由希子の言葉によって敢えなく崩れた。
「だいたい、芳彦は弛んでるのよ! もう少しシャキッとしなさい、シャキッと!」
由希子は人差し指をぴんと立てると、芳彦に詰め寄った。まるで、小さな子供に言い聞かせるように。
彼女のそんな態度に、芳彦はたじろいでしまう。
「水沢、お前の負けだよ」
言いながら綾乃は芳彦の肩に手を置くと、声を上げて笑った。
その光景を傍観していた宏が、不意に口を開いた。
「水沢。俺たちは、あと少しで卒業の身だ。
せめて残りの学園生活、少しは改めてみてはどうだ? 学園生活を少しの間だけでも充実させたほうがいいぞ?」
宏のこの突然な言葉に、三人は呆気に取られてしまう。
「香坂、お、お前……言ってて、恥ずかしくないか………?」
芳彦は顔を赤らめながら、宏に問いかける。由希子はひきつった笑みを浮かべ、綾乃は目を点にしている。
一瞬、場の空気が固まった。
だがそれを解放したのは、またしても由希子であった。
「あっ、そうそう。あ、綾乃くん、きょ、今日の最初の授業は、な、なんだったかしら?」
「お、おう! た、確か数学。そ、そうだ! 数学からだったぜ、確か」
取って付けたような会話だったが、彼らには必要なものだった。―――この場から脱するために。
由希子と綾乃は、授業の準備があるからと言葉を残して去っていった。
「あ、あいつら………結局何しに来たんだか……………」
芳彦は呆れてものも言えない気分だった。走ってきたことより、余計に疲れた気がする。
そのことに芳彦は肩で大きく溜め息をついた。
ふと視線を上げてみると、そこにはまだ宏が立っていた。
「なんだ、香坂。まだ、何か用なのか?」
訝しげな表情を宏に向けながら、芳彦。
「で、どうするんだ、水沢?
改めるか、改めないのか?」
宏は先程と変わらない調子で、芳彦に問いかけた。
この言葉に、芳彦は二度目の溜め息をつくのだった。
ここ、私立微風高校は、どちらかといえば進学校にあたる。
二月、受験生は最後の仕上げの二次試験へ向けて一生懸命勉強に励んでいる時期でもある。
その時期の授業風景は、神経が張りつめた雰囲気がありそうなのだが、実はそうでもない。
なぜなら、今学校に来ている受験生たちの大半が進路の決まった生徒たちだからだ。
芳彦も当然、その中に入っている。彼はある大学への推薦が決まっていた。
逆に、試験がまだ控えている生徒らは各々家で本格的な試験勉強をしていることだろう。
そういう理由から、授業内容はさっぱりしたものだった。いわゆるプロ野球ペナントレースの消化試合といったところだろう。
気がつけば、午前の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
「さあて、飯だ、飯だっ」
芳彦は机の上に広げていた教科書やノートを仕舞い込みながら、代わりに机の中から弁当を取り出した。
その弁当は、今朝、織倉香奈が作ってくれたものだ。
最初の頃は嬉しいという気持ちより、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
実際クラスの友人から何度もからかわれ、恥ずかしい思いをした。
しかし、今ではそのからかいにも慣れ、むしろ彼らに自慢するようになった。
同居人に対しての行為ではあるが、それでもやはり女の子の手作り弁当に代わりはない。その上、芳彦は調理パンかあるいは学食のメニューを飽きないように交互に取るようにしていたが、それでも飽きはくる。
だが、香奈が作ってくれる弁当は毎日毎日、味が微妙に違うのだ。しかも家庭的な味で、食べているとほっとするような安心感を感じる。
芳彦にとって、昼休みに香奈が作ってくれた弁当を食べることが何より嬉しいし、そして幸せなことだった。
「今日は、どんなおかずなんだろう?」
芳彦はまるで小さな子供のように心を弾ませながら、弁当の蓋に手をかけた。
そしてそれを一気に取り払った芳彦だったが……彼は数秒固まったあと、開けたときの倍のスピードで弁当の蓋を閉じた。
「どうしたんだ、水沢? お前、飯は食わないのか?」
芳彦の背後から綾乃が声をかけてきた。
その声に芳彦の身体は一瞬にして強張った。
「あ、ああ……い、いや、食べるけどな……」
芳彦は振り返りながら綾乃に答え返すが、どこか歯切れが悪い。
芳彦の態度を不思議に思った綾乃は彼の席まで歩み寄る。
「なんだ、水沢。今日も香奈ちゃんの弁当か? 毎日、毎日作ってもらえて羨ましい奴だな」
綾乃は芳彦の机の上に置かれた弁当を眺めながら、そうぼやく。
いつもの芳彦ならぼやいている綾乃に対し自慢の言葉を一つや二つを言うのだが、今日に限って彼は黙ったままだ。
やはり、いつもの芳彦の態度ではないことに気づいた綾乃は彼に話しかけた。
「どうした、水沢? 元気がないみたいだが、調子でも悪いのか?」
「あ……? い、いや…べ……」
芳彦が別にと言いかけたとき、再び彼の背中に声をかけてくるものがいた。由紀子である。
「あ、や、の、くぅん。芳彦が調子悪いなんてことあるわけないじゃない?
しかも昼休みによ!?
そんなことがあったら天変地異が起こるわ」
由紀子は意地の悪い笑みを浮かべながら芳彦の席へ近づいてきた。
「それもそうだな! がっはっはっはっ」
由紀子の言葉に綾乃は声を大きくして笑う。
だが芳彦は、由紀子の言葉にも綾乃の態度にも何の反応も示さない。ただ、手元にある弁当箱をじっと見つめているだけだ。
そんな彼の様子に、由紀子の顔に心配の色が浮かんでくる。
「……どうしたの、芳彦? 本当に具合でも悪いの……………?」
由紀子は心配そうに芳彦の様子を伺う。
「い、いや! べ、別に何ともないんだよ」
芳彦は由紀子の不安をかき消すかのように両手を振り出した。そして、何かを思い出したかのように手をポンと叩くと言葉を続ける。
「ふ、二人にはちょっと悪いが、お、俺、今日は一人で、べ、弁当食うわ」
言いながら芳彦は席を立った。
「お、おい! 水沢、一人で食うって、どこへ行くつもりだ?」
「そうよ。それに芳彦、身体の具合でも悪いんじゃないの?」
由紀子と綾乃は揃って芳彦の声をかける。彼らの言葉に困った表情を見せた。
芳彦としては、早く人目のつかないところへ向かいたいのに、今日に限って彼らはなぜ呼びとめるのだろうか?
いや、彼らが自分のことを心配してくれていることぐらいわかっている。
しかし今日だけは、彼らの気持ちが疎ましく思えてしまう。
「だから、何でもないって。
ただ今日は、な、なんとなく……そう! なんとなく一人で食べたい気分なんだよ!
ははっ、はははは………」
芳彦は乾いた笑い声を上げながら、頬をぽりぽりと掻いた。そんな彼の様子に二人の目の色は心配の色から懐疑の色を持ち始めた。
「……ねえ、芳彦………あんた、何か隠してない?」
「俺もそう思う」
由紀子と綾乃はじろっと芳彦の顔を睨みつける。
彼らの言葉に芳彦の身体はびくっと震える。
「か、隠し事? そ、そんなもん、あ、あるわけないじゃなか、二人とも」
芳彦は笑みを浮かべながら話し掛けるが、由紀子と綾乃は彼の言葉を信用してはいなかった。
「芳彦……」
「水沢……」
「な、なんだよ……? ふ、二人とも……目が据わっているぞ……?」
二人が芳彦に詰め寄ろうとしたとき、三度背中から声がかかってきた。
「水沢。例の一年の織倉って子が来ているぞ」
「うわあっ!!」
突然背中から声をかけられたので、芳彦は驚きの声を上げる。
彼に声をかけてきた者。それは、宏だった。
「人の顔見て驚くとは失礼なやつだな、お前は」
宏は憮然した表情で、芳彦に抗議の声を上げる。
『背中から急に声をかけてくるからだろ!』と声を荒げるのを、芳彦はぐっと我慢した。
そう言おうものなら、彼はさらに絡んでくるのが目に見えていたからだ。
「……すまない、香坂………ところで、香奈ちゃんが来ているのか?」
「ああ。しかし、水沢……見損なったぞ……お前、彼女にあんなことを言わせているのか?」
そう言う宏の表情は、どこか怒っているように見えた。
彼の言葉に、芳彦は頭の血が一気に駆け上った。
「なっ!? ち、違うっ!!
香奈ちゃんが、ただ俺のことを『お兄ちゃん』って呼んでいるだけだっ!!」
その声は芳彦の周りはおろか、教室中に響き渡った。
芳彦は慌てて自分の手で口を塞いではみたが、時すでに遅かった。クラスメイトらはひそひそと彼の言ったことについて語り合い始めていた。
「水沢……お前って奴は…………」
綾乃が呆然として口を開く。
「……よ、芳彦……あんた人は……………」
額に手を当て、頭を左右に振りながら由紀子。
「お前というお前を見損なったぞ! 水沢!!」
宏は芳彦のことをきつく睨みつけた。
三人と、そしてクラスメイトの非難の視線を浴びながら芳彦は泣きたい気分になってきた。
以前の、同棲の噂が消えかけ始めた矢先にこんなことがまた起こる。もし神がいるとしたら、芳彦はそんな神を恨みたくなった。
「な、なんで、俺だけ………」
顔を手で押え、芳彦はうめくようにそう吐いた。
本当に、たい………………っへん、長らくお待たせいたしました。
ようやく第3話の公開です(苦笑)
2話公開から、すでに半年が過ぎてしまっています。(^^;;;
#とんでもないな(滝汗)
FKSのSSは「はちゃめちゃパーティー!!」と同じく、書くのはぢつに久しぶりです。そのため、キャラの性格、言動、行動などその他もろもろをすっかり忘れてしまいました(ぉ
慌てて設定資料集を持ち出し、それ見ながら書いたりしてました。(^^;;;
#4話はこんなことにならないよう、気をつけます(反省)
では、この辺で。
| 総合評価 | 投稿数: 90 pts. / 平均: 4.6(良い方だと思う。) |
|---|---|
| コメント |
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