女の子にとって、髪型を大幅に変えるのは一大イベントのひとつ。
本人にしてみたら、別段なんていう事がなくても、周囲がそれを放っておかない。
どうしたの? なんかったの? 良い事悪い事? 似合うじゃん。前の方が良かったよ。なんていう言葉が、イベントを形作っていく。
神岸あかりの場合も、それは例外ではなかった。
お下げを下ろし、少し短く切る。黄色いリボンで、アクセントをつける。
たったそれだけの事でも。
「ちょ、ちょっとあかりぃ。なによそれは」
学校に着くなり、真っ先にそう声をかけてきたのは、志保だった。
「あ、志保。おはよう」
「ちょっとちょっと、おはようどこじゃないわよ。どうしたのよそれ」
まじまじとあかりの髪型を見ながら、何があったのか興味津々という声で言う。
「へへ・・・似合うかな」
あかりは、照れくさそうに、前髪をちらちらといじって見せる。
「似合う似合わないとかじゃなくて」
「似合わないかなあ・・・」
「だから違うって言ってるでしょう」
髪型の感想が気になるあかりと、髪型を変えた理由を聞きたい志保。二人が平行線なのも無理はない。
あかりの微笑みで、傷心ゆえの事ではないのわかる。それだけに、志保にとってはますます興味を掻き立てる要因となっていたし、むしろそういう「ネタ」となれば、放っておける筈も無い。
「あたしが聞きたいのは、どうしてそんな髪型にしたのかっていう理由よ。感想はその後」
「理由っていっても・・・・」
不意に、浩之の顔が浮かぶ。
「別に・・・・ただ、イメージチェンジを・・と思っただけだよ」
「うそ」
志保が、ビシっと指をあかりの鼻先に突き出した。
思わずのけぞるあかり。
嘘だとは心外だ。とあかりは思わなかった。志保の言っている事は正しいのだ。
嘘でもないが、本当でもない。
志保の追求と指摘は、本当ではない方を突いていた。
「え・・・なんで?」
「だってえ、頬が緩んでるし」
あかりは、ハッとなって両手で頬に触れる。
志保が、ニヤリと笑った。
「ち、違うよ。慣れない髪形だから、気になって」
慌てて首を振った。
すると、いつのまにかあかりの回りに数人の女生徒が集まってきていた。
「あかり、髪型変えてるぅ」
「どうしたの。何があったの?」
「どういう心境の変化よ」
口々に言うのを、志保は自分の追及が自分だけの興味でない事に満足しているかのように微笑んで見ている。
「なんでもないよう」
眉をハの字にして困りながら、唇の端だけはなんとか笑顔を努めようと、少しだけ釣りあがっていた。
「浩之、あかりちゃん、髪型変えたね」
雅史は、あかりの周囲に居る数人の人だかりを見ながら、感心した風につぶやいた。
「ああ・・・」
浩之は、興味なさそうにしながらも、あかりの方を見て呟いた。この学校の誰よりも早く髪型を見ているから、その点については、なんの感慨も無い。
なんで髪型一つであそこまで盛り上がれるのか。浩之にはそれが不思議でたまらなかった。雅史にしてもそうであった。
「でも、あかりちゃん。可愛くなったよね。僕は、結構いいと思うけど、浩之的にはどうなのさ」
「別に。どっちでもいいんじゃねーか」
そう言って、鼻でため息をつく。
あかりの少し染まった頬。
嬉しそうな笑顔。
どうしてあんな風な表情出来るんだろうな。
興味無い振りはしていても、どうしても気になる事だった。
「まあ、悪くないと思うぜ」
「そうだよね。結構いいよね」
「何聞いてんだ。誰も良いなんて事言ってないだろ」
さも自分がそう言ったかのように言う雅史の言葉に、浩之は少しだけ反発した。何も気づいてないようで、何もかも知っているような所に舌を巻きながら。
「まあまあ。それよりも、なんでいきなり髪型変えたのかな?」
「イメージチェンジって言ってたけどな」
「へえ・・・」
「でも、変わったのってほんの少しだろ。なんであそこまで盛り上がれるんだろうな」
「そうだね。不思議だよね」
不思議ならしょうがない。そうならそうでしょうがない。雅史はそんな風に笑っていた。
「今日は気持ち良いよな」
浩之は、屋上の金網に背中で寄りかかって、真っ青な空を見上げていた。
ほんの少しだけ、冬の頃とは違った匂いの混ざる風が生まれて帰っていく場所。
「うん。そうだね」
あかりは、金網に手をかけて、浩之とは違う、街の景色を見ていた。空ならどこでも見れるが、街の景色を一望出来るのはここしかない。今の行動なら、浩之とあかり。どちらが正しいのか。
「もうずいぶん暖かくなったよね」
「ああ」
浩之は、空からあかりに視線を移す。
短くした髪でも、時折来る風にそよそよと揺らぐ。
不思議な違和感を浩之は感じていた。
今俺の隣に居るのは誰だ? 俺の知ってるあかりなのか? 柔らかそうな頬。綺麗な髪。
誰なんだこいつは。本当にあかりなのか?
「・・・・ん?」
あかりが浩之の視線に気づいて、横を向くと同時に、浩之も何を慌てたのか、体ごとあかりから視線をそらした。そのまま半回転して、金網に手を突く。
「なあ、あかりさ・・・」
「ん? なあに?」
「ほんとは、なんで髪型変えたんだ?」
「・・・・・・・」
あかりは答えずに、前髪をつまんで、上目遣いに見ていた。
「いや別にいいんだけどな・・・朝、なんか騒々しかったろ。やっぱ髪型変えるってのは大変な事なのか?」
浩之にとって、あかりが髪型を変えた事は、昼休みの今になるまで引く事ではなかったが。ついさっきまでは。あかりの横顔を見なければ、こんな質問は屋上の心地よさに消し飛んでいただろう。
「え・・・うーん・・・別にそんな大事って訳じゃないけど」
「ふーん。そっか」
「ただ、別に髪型なんとかっていうんじゃないんだと思うよ。変えた理由とかが気になるんじゃないかなあ」
顎に指を当てて、確かに自分もそうだと納得しながら、そう言った。
「そんなもんかね。俺達なんか別に誰が髪型変えようが、ふうんってなもんだけどな」
「それは浩之ちゃんだからでしょう」
あかりが、信じて疑わないとでも言った風に、微笑んでみせる。
「男なんてみんなそんなもんだぜ」
「そうかなあ。私は絶対浩之ちゃんならではって思うけどなあ」
「なんだよ。その絶対ってのは」
浩之は、やれやれと言わんばかりに、肩を竦めてみせる。
「まあ、そりゃ雅史がいきなり坊主にでもしてきら、どうしたって思うけどな」
あかりの目を見ながら言った瞬間、二人はぷっと吹き出した。
人の事を笑ったりしない二人でも、想像にいきなり出てきた雅史の姿に、我慢はできなかったのだろう。
「だ、駄目だよう。浩之ちゃん。そんな事言ったら」
笑いを堪えているあかりに、浩之も笑いを堪えながら、
「そうだな。そうだよな」
そう言ったのがきっかけになって、二人は堪えきれずに笑った。
何かハマる所があったのか、ひとしきり笑ってから、二人は大きく息を整えた。それでも、笑いの余波は、気分を軽くしている。
「そこまで極端じゃないけど、やっぱり気にならない? 私だったら、浩之ちゃんが髪型変えたら、すっごく気になるけど」
「そんなもんかね」
「もう・・・浩之ちゃんったら。やっぱり無頓着すぎだよ」
「そうかな。きっとみんなこんな風だと思うぜ?」
浩之は、また金網に背中を預けて、「まったく・・・理解に苦しむぜ」と、苦笑した。
「理解に苦しむのはこっちの方だよ・・・」
あかりが、眉をはの字にして、大きくため息をついた。
「もっと気にした方がいいよ」
「だったら、まずはてっとり早いとこで、あかりが髪型を変えた訳でも気にしてみるか」
「え・・・」
手っ取り早いから、手近にいる自分で済ませた。そんな響きよりも、うやむやになっていた浩之の興味の矛先が再び自分に向いた事に慌てていた。
「だから・・・・イメチェンだよ」
「ふーん。そっか」
あかりの予想した通りの、一字一句違わない返事が返ってくる。
本当の事はどうせ言えないし、それに、本当の事といっても、乾坤一擲の思いで変えた訳ではないし、本当の事も嘘も、一緒になって溶けている。どれが何だかわからない程度の事だ。言えたとしても、多分似たような答えが返ってくる。あかりにはそれがわかるだけに、出てくるのは、いつもと同じ、呆れ色の濃い溜息だった。
「でも、たまには、変化も必要だと思わない?」
それから、とっておきの言葉を取り出した。髪型を変えてから、今まで誰にも言ってもらってない言葉を聞く為に。一番聞きたかった相手の口から。
「ねえ・・・聞いてみたいんだけど」
「ん? なんだ?」
「あのさ・・・・・これ、変・・じゃないよね?」
言いたかった事が、口から出た途端、弱気な言葉に代わる。
「別に、変じゃないと思うぜ。それに・・・似合ってるしな」
「ほんと?」
あかりの声が、跳ね上がった。
「今更嘘言ってもしょうがないだろう」
「そうだよね。浩之ちゃん、嘘言わないもんね」
「いや、嘘かもしれないぜ」
浩之は、意地悪そうに薄く笑うと、あかりはぱっと目を丸くした。それだけで満足したのか、浩之は一つ大きく息を吐いて、、
「冗談だよ」
「ええ、嘘なのっ?」
「何言ってんだ。そうじゃなくて・・・安心しろよ。ちゃんと似合ってるから」
あかりの頭の上にぽんと手を乗せて、髪を乱さない程度に、軽くくしゃくしゃと撫で回す。
一番言って欲しい事を、一番言って欲しい人から言って貰えた。
あかりには、それだけで充分だった。髪型を変えた甲斐は、この瞬間の為に有るような物だったのかもしれない。これが本当の理由だったんだろう。あかりは、志保の指摘を思い出して、浩之にわからないように苦笑した。
「あれ?」
不意に浩之が手を止めた。
「ん?」
浩之の声に、あかりは浩之の視線を追って、同じ方向を見る。
屋上の入り口に、髪の長い女子生徒が立っていた。癖の無いストレートな髪。うつむいているせいか、頭全体が髪で隠れて、誰だかわからない。
上履きの色は、浩之達と同じ色であった。
「・・誰だ?」
屋上には、二人以外居ない。しかも、相手はうつむいて立ち止まっている。景色に用があるんなら、さっさとそうすればいいし、二人に用があるんなら、とっとと向かってくればいい。その二つのどちらもない。訝しげに思わない訳にはいかないだろう。
「あんな子・・・居たかなあ」
その答えは、あかりが一番知っていた。髪の長い生徒ならいくらでも居るが、今目の前に居る女の子のように、どこか気味が悪い立ち居姿の少女は見た事が無い。
立ち止まっていた女生徒が、二人の方に真っ直ぐ歩いてきた。
うつむきながらなのが、二人を警戒させた。浩之が、あかりの前に立つ。
一歩。二歩。間違い無く真っ直ぐに二人の所に歩いてくる。
普通に会話する距離よりも、ほんの少しだけ離れた所で立ち止まった女生徒は、まだ顔を上げようとはしなかった。
そこまで近づいて、髪が手入れされていない事にも気づく。まるで、めちゃくちゃに暴れたままであるかのように。
二人が息を飲んだ瞬間、
「ばあ」
女子生徒が、顔を上げた。
数秒、時間が止まった。
「・・・・志保?」
沈黙を破ったのはあかりだった。
「え?」
浩之は、あかりを見てから、慌てて目の前の女生徒に目を移す。
悪戯っぽい表情が似合う顔。紛れも無い志保のそれだった。
「もっと早く気づいてよね。ばあ・・なんてやったまま固まるなんて、まるでバカみたいじゃない」
「それより、なんだよそれ。どうしたんだ」
「ああ、これ。さっき演劇部で借りて来たのよ。あかりが髪型変えたから、私もちょっと変えてみようと思って」
髪をつまみ上げながらそう言って、目を細めてからからと笑う。
「どう。ロングヘアーよ。ぐっとくるでしょう」
「来ねえよ」
「なあに、あんた目腐ってんじゃない?」
志保が、指を突きつける。
「まあまあ志保・・・でも、どうせやるんなら、もっとちゃんとやらなきゃ。櫛くらい通せば良かったのに」
あかりが苦笑しながら、志保をなだめると、意外なほどあっさりと志保は引き下がった。
「うーん、やっぱり元気一杯の志保ちゃんには、ロングなんか駄目なのかな」
志保は、かつらをとって、ふるふると頭を振ってから、手で撫で付けた。それはそれで不思議な物だ。と浩之は思った。あかりの言葉が無ければ、じっと見なければ、志保とわからなかったのだ。
「ううん。ちゃんとしたら、わかるのにもっと時間かかったと思うよ。結構似合ってたよ」
「そう言ってくれるのは、やっぱりあかりだけよねえ。どこかの目が腐食して腐敗してる誰かさんと違って」
ある一部分だけを強めて言いながら、かつらを指先でくるくると回してみせた。
「まったく、どうしてそう髪型なんかにこだわるかね」
「浩之ちゃん、髪は女の命って言うでしょ?」
「そうよ。女の命を笑う物はあとで泣く運命にあるのよ」
「はいはい。そうですか」
浩之は呆れ顔で言ってから、つっと歩き出した。
「じゃあ、俺先戻ってるから」
あかりにだけそう言った。
「あ・・うん」
「なに。あたしには挨拶無し?」
「あーすまん。最近目が腐り気味でさ」
背中を向けたまま手を振った浩之に、志保はあかんべを投げつけた。
昼休みの終了のチャイムを、浩之は自分の席で聞いていた。
窓から入ってくる風も、屋上よりは暖かい。
「ねえ、浩之ちゃん」
肩を叩かれて、浩之が振返る。
「うわっ。な、なんだ」
長い髪の女生徒が立っていた。良く知っている顔で。
「へへー志保に借りてきちゃった」
ストレートロングのあかりが、照れくさそうに笑っていた。
浩之が一度も見たことの無いあかりの髪型であった。
「志保が移るぜ。やめとけやめとけ」
そう言いながらも、浩之はあかりをまじまじと見ている。見慣れた町が雪で白く変わったのを、感慨深げに見るように。
「でも、ロングって一度してみたかったから」
「しょうがねえな」
さっきよりも明らかに浮かれているあかりを見て、浩之は小さく鼻で溜息をついた。
よくまあここまで変われるもんだ。不思議だよ。
そう思いながら。
悪くない。良い。と思ったが、結局口に出す事は無かった。
| 総合評価 | 投稿数: 284 pts. / 平均: 4.3(良い方だと思う。) |
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