「今日の昼食、ボクが作ってあげるよ」
土曜の午後、学校から帰った僕を待っていたのは、並木智香のこんな言葉だった。
夏の暑い日差しが、家の中までついて来たような気持になるのは、並木ならではだ。
「なんだ。どういう風の吹き回し?」
家事が苦手というより、家事にはほとんど興味がなく、それ故にあまり上手くは無い並木だが、決して駄目という訳じゃなかった。一度興味を持ってしまえば、やり遂げるだけの才能も十分にある。ただ、本当に惜しいのは、興味を持たない所だ。
「別に。ただちょっと気が向いたからって所かな」
「ホントにそうか? なんか魂胆があるんじゃないか?」
「なんだよう。ボクが料理とかしちゃおかしいっていうの?」
心外だという表情で、並木が僕を指差してきた。目が少し釣りあがっているところを見ると、少し本気らしい。
「いや、別にそういう訳じゃないけど・・・」
「だったら、何も言わないで待っててよ」
笑顔に戻った並木が、ポンポンと僕の肩を叩いてきた。
「それならいいけど、頼むから変なのだけは勘弁してくれよな」
「ボクがいつ変なのを作ったって?」
僕の肩を叩いた手が、首に回ってきた。指が首に触れた瞬間の柔らかさにドキっとする暇も無く、女の子らしからぬ力が、 僕の喉を締め付けてきた。
「ぐげ」
空気以上に、手加減という言葉が欲しくて、口をぱくぱくさせていると、すぐに解放された。まったく力の加減くらい、いい加減覚えて欲しい物だ。
「…は一言多いんだからな。気をつけた方がいいよ。口は災いの元っていうだろ?」
勝ち誇った様に言われても、僕はその教訓をまったく聞き入れずに、
「おまえこそ、もっとその馬鹿力を加減しろよな。それでも女の子・・」
最後まで言う前に、強制的に止められた。
口は災いの元というのも確かだな・・と、薄れかかりそうになる意識の中で思った。
「どう? おいしいだろう?」
並木が、食べている僕をじいっと見ながら、そう言ってきた。
僕は、言葉が無かった。
まずいからじゃない。もちろんうまかったからだ。
チャーハンに味噌汁と言った簡単な物だったが、簡単だからこそ、味の良し悪しが簡単にわかるのだろう。正直、今食べている物は、かなり上手い部類に入ると思う程だ。
「なんだよ。黙ってちゃわからないよ」
「うまいよ」
冗談もふざけも無い、本当に純粋な気持ちが出た。なぜなら、言わせてくれないだけの物があったからだ。
「へへーん。やったぜ」
「なにが?」
得意そうに微笑む並木に、僕は思わず訊いてしまった。
「ちぇっ。やっぱり覚えてないや」
声だけは、本当にやれやれという感じだが、表情はあくまで笑顔だ。
「だから何がだよ」
「いつだったかな。ボクが食事当番の時、…が正直にまずいって言った事あったろ」
「・・・それっていつの事だ?」
記憶に多すぎて、限定出来ないと、暗に言ったのと同じと気づいた時には遅かった。
並木の目が、視殺するような勢いで、僕を見ていた。
「あ・・いや、う、うん。覚えてるよ。うん」
心の中では真摯に言ったつもりだったのだが、口がうまくそれを伝えてくれない事の、なんたるもどかしさか。
「・・・まあいいや。その時…が、うまいって言わせたら、どっかへ連れていってあげるよって言ったんだ」
「え? そうなのか?」
記憶は無かった。確かに言いかねない言葉だけど、ほとんど気にしないで言った言葉だろうという事はわかった。その後の受け答えもろくにしてなかったせいもあるだろう。もし、そう言うことを言っていたのなら、ちゃんと覚えている筈だ。
「そうなの。だから、ちゃんと約束は守ってもらうからな」
勝ち誇った風に嬉しそうな表情で、ニカっと歯を見せて笑った。
その笑顔に、とくん。と来た。僕の胸の中で。
同居する羽目になってから、半年以上過ぎた頃から、ある日不意に気づいたように、並木の事を意識するようになっていた。ふざけ合うのが普通だと思っていた時期、並木にヘッドロックをかけられた時に触れた、身体の意外なまでの柔らかさを感じた時に、今まで心の奥で眠っていた何かがいきなり目覚めた事を、よく覚えている。
「な、なんだよ。そんなの知らないよ」
「ああ、何言ってんだよ。ずるいぞそんなの。約束したから、頑張ったんじゃないか」
表情は、真剣その物だった。
「え・・?」
僕の為に? と、不意に思わずには居られなかった。家事全般に興味無かった筈の並木が、僕との何気ない約束の為に頑張ったと思えば思う程、胸の奥が騒がしくなっていく。
「な、なんだよ。僕の事なんて構わないで一人で行けばいいじゃないか?」
嘘だった。嬉しいと小躍りしそうな自分を必死に抑えての言葉だ。それに、僕と一緒にじゃなくて、どこかへ連れて行ってくれるのに僕を利用する為だけかもしれないと思って、本心を訊く為に試した言葉でもあった。
「ボク一人で行くのに、なんでこんな事頑張る必要があるんだよ」
並木の顔に、ほんのり染まったように見えたが、表情は真夏の太陽のように明るくてさっぱりしていた。僕の思い過ごしだったのだろう。
「・・・わかったよ。じゃ、一緒に行こう」
「やった。それじゃ折角だから、海とか行こうよっ。ね、いいだろ?」
並木の表情に、僕の中の夏が、少しだけ足を早めてやってきたような気がした。
| 総合評価 | 投稿数: 18 pts. / 平均: 4.8(良い方だと思う。) |
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